ADHDは完治できるのか?という28歳ADHDの僕なりの考え方
2017/04/09
ADHDは病気でしょうか?
これは僕なりの考え方ですが、ADHDを含む発達障害の人が必ずしも不幸な人生を歩むということは、まず有り得ない話だと断言します。
ネットでは、数々ADHDとみられる偉人の話が見つかりますが、そういう話を一般的な人に適用して、
ADHDの方を完治に導いたり、生活改善を目指すのは、少し無理があるように僕は思います。
ただし、障害を全く感じさせず、周囲に発達障害が、まるで治ったように感じてもらうことは不可能ではありません。
そうではなく、生まれつき持っているその人の個性がADHDだと思えば良いのです。
確かに「忘れっぽい。」、「簡単な失敗を何度も繰り返す」など、他人に迷惑ともとれる行動、歯に衣着せぬものの言い方、
「空気を読めない、ちぐはぐな会話」はありますが、誰でも大小の違いはあっても、うっかり忘れたり、ミスを繰り返すことは良くあります。
ところが、普通の人は記憶として留めておくだけではなく、それをいつでも後から思い出して利用できるから、あまり同じ失敗を繰り返さないだけです。
だれでも失敗を常に非難され続けられたら、ストレスで心がどうにかなってしまいます。
片足を事故で失ったり、目を事故で失明したりする、外傷とは違って、ADHDは脳の異常なので外見からでは区別が付きません。
しかし、外傷による身体の欠損は補助具で何とかなるでしょう。
それと同じように、上手にツールを使ってみたり、周囲の人が簡単なサポートを言葉で補うだけでADHDは、ちゃんとこの社会についていけます。
敢えて断言しますが、ADHDは病気ではありません。「障害」です。
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精神病や認知症などとの違いについて
躁うつ病や認知症とADHDを含む発達障害の、大きな違いはなんでしょうか?
それは病気として「進行性」があるかどうかの違いです。
完全な医学的な完治が無理なADHDの場合は、脳障害であり、それは脳の発達が多少不完全な状態にあるからです。
そのため、幼少期の時代のADHDの症状は多岐にわたり、幅が広いですが、大人になると症状は狭まり、強い特性だけが残ります。
一方で、精神病や認知症は症状の悪化や快方を繰り返し、病状が自然と良くなることはあり得ません。
また、ADHDは成人すると、自分自身が無自覚でも工夫次第で障害を自然と乗り越えているケースもあるので、
ADHDが完治したように見える人も、少なからずいるのです。
ADHD診断され、ますます症状が悪化するように見えるのなら、それはADHDの発達障害以外の障害や病気の可能性が高いでしょう。
また依存症などの有無も非常に、ADHDのような発達障害と合併して絡んでくると、余計にADHDの改善には大きな障害となる場合があります。
医学的な事を簡素に説明すれば、ADHDの方は脳の神経同士をつなぐ、接続部分に流れる伝達物質が上手く流れず、記憶を連携できにくいということです。
従って認知症や精神障害とは病理的に発達障害はその仕組みが全く違います。
従って、わかりやすく説明には、症状という用語を使いましたが、正確にはそれは発達障害の「特徴」という事が出来ます。
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実際の治療はどうやってるの?
ADHDのような発達障害は、「訓練」と「支援」によってカバーしていく障害です。病気のように、症状を抑える治療を考えるものではありません。
最初の相談先は、まず具体的に何度も同じことで繰り返し同じミスをするとか、あまりに忘れ物が多い、
あるいは、部屋などの整理がどうしても自分一人では出来ない、あるいは作業をやりかけで次々他の事をやり、全く順序よくできないなど独特の特性があります。
これを精神神経科や心療内科で、家族や本人の口から具体的に説明してアドバイスを受けることです。
訓練は市役所の福祉センター、地域療育センターや発達障害支援センターなどがあり、大人ではハローワークの地域障がい者職業センターなどがあります。
民間の支援団体もあるので、まずはそこで訓練とサポートを受けてみることですね。
繰り返しますが、発達障害は毎日の訓練で障害を乗り越えるといった、生活改善が目標と指針になっているのです。
ADHDの未来像
ADHDは「完治」という具体的な指標はありませんが、発達障害という、障がい者として周囲の理解とサポートさえあれば、病気とは違ったその人の特性となります。
従って、時には通常とは違った才能を開花させることがあります。しかしそれには、家族の理解や周辺の人たちのサポートが必ず必要です。
その上で僕からの提言ですが、ADHDの人は、「多数の事を一度に処理できない」、あるいは「順番を自分で決められない」
という特性を生かし、「一つの事を徹底的にやる。」とか発想を変えて欲しいですね。
ADHDだからといって、全てにおいて集中力が欠けているのではありません。
一般の人は「スケジュール管理どおりに、正確に物事をやり遂げる」という、
他の人では脳に情報が多いばっかりに、本来の得意な事、夢中になることをいろんな「やりたい事」で奪っています。
これは「人に縛られたくない」という、ある種自由だからこそ、出来ない集中力です。
それを目標にADHDの人も前向きに人生を歩めば、ADHDという障害は、発達障害を越えて、個性や才能を発揮することが出来るのではないでしょうか?
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